kiss me 2
いつも、キラのことを思い出していた時期があった。何を、どんなことを思い出していたのか、それはもうまったくわからないけれど。
それでも、大切に大切に、その思い出をいとおしんでいたことだけは、はっきりと憶えている。
戦闘、戦闘、また、戦闘。
ただひたすらに殺して、壊して、ブッ潰して。
それでも以前と少し違う自分に、シンも気がついていた。
「最近アンタ、ちゃんと命令聞くようになったわね」
ルナマリアに言われ、シンは努めて仏頂面をつくる。
「そんなことない」
「あるわよ。なに？やっとあの人の凄さに気がついた？」
「だからそんなことないってば」
なあ、レイ。と、同意を求めたが、彼はあらぬ方を向いてこちらに興味を示さなかった。
「何がそんなことないんだ？」
代わりに、待機室の入り口から声がして、飛び上がる。
「えー」
答えようとするルナマリアの口を押さえ、仲いいんだな、と呆けたことを言われた。
こっそり医者に聞いてみると、ほぼ毎日分の薬を処方されているらしいその人は、それでも普通のカオをして、毎日元気に戦っている。
・・・・きっとそのために、薬が必要なのだろう。
「この先の、最新の地形図が手に入ったんだ。岩砂漠だからとにかく足場が悪い。一度目を通しておいてくれ」
「はい」
配られたデータを見るフリをしながら、こっそりその人を盗み見る。
一度、同じような場所で戦ったことがあるのだと、注意点を述べる指揮官は、よく見るとなんだかキレイで・・・苦しそう、だった。
そのデータに誤りを見つけたのは、偶然だった。
部屋に戻って、手持ち無沙汰なときには、必ずマユの携帯を取り出すものだったが、今日は隊長からもらったデータを開けた。
シンは地球生まれだが、岩砂漠なんて知らない。
プラント生まれのあの人は知っているのに。
データを開いて、閉じて。それを繰り返しているうちに、接地圧の計算が、少し狂っていることに気が付いた。
些細な狂いだ。でも、何かあったら困るのは俺たちだ。
「なあレイ、ここ、ちょっとおかしいよな」
「確かに・・・よく、気づいたな」
レイに褒められて、嬉しくなって。
「俺ちょっと、隊長のとこ行ってくる」
「ああ」
データを持ったまま、廊下へ飛び出した。
一応、地球標準時を使っている艦内は、しんと静まり返る時間で。
まずいかな、と、少しだけ思ったけれど、足を止める気にはなれず。
アスランの部屋の前で、ひとつ深く息を吸って。
「こ、こんばんはぁ」
礼儀正しいのか無礼なのか、自分でもわからない声と共に、ドアスイッチを押した。
ふしゅ、と、聞きなれたエア音と共にあらわれた室内は真っ暗で、しまった、とちょっと後悔する。
薬で眠るくらいだから、きっと起きているとタカをくくっていたのが間違いだった。
仕方ないから出直そうと、踵を返したところで、背後から絞り出すような呻き声が聞こえた。
「・・・・ら・・ぁ・・・・」
うなされてるのかな。
振り返って。
気になって、ベッドの側に寄って。
ドアは閉まってしまったけれど、すぐに闇に慣れた瞳はアスランの苦しげな表情をすっかり捉えてしまった。
悪い夢でも、見てんのかな。
起こしてやった方が良いのかと、丸められた肩に手を置いた。
そのとたん、闇にも鮮やかな瞳が開かれる。
「キラっ」
シンの知らない、意味のわからないコトバ。
その目はしっかりとシンを捉えているのに、まったく、シンを見ていなくて。
「ぁ・・・・」
「アスランさん・・・」
小さく洩れた声に、ちゃんと目が覚めたのかと思い、呼びかける途中。
きつく、手首を掴まれた。
「・・・・・ないっ」
悲鳴のような声が上がる。
「死のうとなんかしてない！」
いつも、力のある深い声が、裏返って掠れて。
「死なない。逃げてない。死のうとなんか・・・・っ、してない、ほんとだ。死なない、死なない、死なないからっ！！」
「隊長っ！」
呼びかけて、それでも応えてもらえない。
掴まれた腕が痛い。
でもそれよりもずっと、胸が、痛い。
「逃げて、ない・・・・」
途切れた声が嗚咽に続き、シンは呆然と自分の腕に縋るその人を見下ろした。
『死なない』
死にたいんだ。
『逃げてない』
死んで、逃げてしまいたいんだ。
生きることは、この人にとって、死んで、逃げてしまいたいほど。
辛いこと、なんだ。
生きている、ということは、何よりも優先されるべきことだと信じていた。
死んだ家族。
生きてさえいれば。
でも、この人は。
「アスランさん」
死なない、という言葉に、どれほどこの人がそれに焦がれているかがわかって泣きたくなる。
このひとは、ずっとひとりで、その辛さに耐えて。
死に、焦がれながら、それでも、生きて。
「アスランさんっ」
知らず、腕が震える背中にまわった。
ベッドに膝を付いて、片腕だけで深く、抱きしめる。
掴まれた腕は、もう感覚がない。
このまま、握りつぶされてもいいと、自然に思った。
どうしよう。
どうしよう、俺、この人守りたい。
泣かせたくない、辛い思いさせたくない、優しくしたい、笑って欲しい。
大切に、したい。
どうしよう。
俺、この人好きなんだ。
「アスランさん・・・・」
それは、何度目の呼びかけだったろう。
アスランが、恐る恐る、といった風情で顔を上げた。
「・・・・・シ、ン？」
今、やっと気が付いたというふうに。
泣き濡れた翠の瞳。
それを愛しいと、素直に思う。
「大丈夫ですか？」
「・・・・・」
その瞳が瞬いて、急速に力を取り戻した。
「お前、なんで」
「え、あ、あの、もらったデータ、なんか数値がおかしくて」
なんでこんな仕事の話してるんだろう、俺。
そう思うシンに、待ってろ、と答えたアスランは、掴み締めていたシンの左手に気づき、声を上げた。
「・・・・っ、これ・・・すまない。大丈夫か？」
握り潰されると本気で思ったそこは、紫色に変色している。
「医務室に・・・」
「えっと、冷やしとけば、平気だと思います」
思ったほど酷くはないと、軽く握って見て判断した。
「そうか？本当にすまない。俺はバカ力だから・・・」
「だって、俺たちコーディネイターだし」
たぶん、この人も、ナチュラルの間で暮らしたことがあるんだろう。
気の使い方で、そう思う。
「・・・・そうだな、でも、悪かった」
立ち上がったアスランは、うっとうしそうに涙を拭ってから、棚から白い箱を取り出した。救急箱、そんなもの持ってるのかと、少し、驚く。
「湿布だけ、貼っておくから・・・酷くなるようだったら、すぐに医務室に行け。お前は貴重なパイロットなんだからな」
貴重なパイロット、か。
想いを自覚した後だけに、ちょっと落ち込んだ。
「後は、データだな。どこだ？」
赤い軍服を羽織り、シンを振り返ったその人は、もう全くいつもの指揮官の顔をしていた。
シンの耳からは、あの悲痛な叫びが消えないのに。
そのアンバランスさが、怖い。
怖くて、なんだか切ない。
「シン、どうした？」
首を傾げるその人に、計算の狂いを教えてやる。
「すまない、気づかなかった・・・。助かったよ。ありがとう」
笑って、その人は。
データを片手に端末を立ち上げ、接地圧を計算しはじめている。
「あの、ほんのちょっとなんですけど・・・」
「いや、些細な狂いでも、お前たちの命を預けるデータだからな」
あなたの命はどうなんですか。
ああ、ホントにこの人は。
「じゃあシン、悪いがこのデータを皆に配ってくれないか」
振り返ってデータを差し出した、指の細さ。
「アスランさん」
「何だ」
「あの、俺」
「うん」
早く受け取れ、と、揺らされるディスク。
「俺、あなたのこと、好きです」
それを受け取ったら、部屋を出て行かなければいけない。そう思って、シンは手を出さない。
「嫌われていると思っていたんだがな」
シンにそれを渡すことを諦めたのか、アスランはデスクチェアに深く腰掛けて、ディスクをもてあそんだ。
「ありがとう」
普通に笑って。
「言っときますけど、上官として好きとか、そういうんじゃないですからね」
「いいよ、仲間としてでも十分だ」
「だから違いますってば」
「・・・・？」
不思議そうに首を傾げたその人の、少し、血の気の足りない唇。
上手く言えない自分に焦れたシンは、そこに、自分のそれを押し当てた。
「・・・・・・・？」
それを離すと、呆けたような瞳と目が合った。
腹立たしくなって、今度は、深く口付ける。
ひやりとした舌を絡め取り、甘く抜ける息を楽しむ。
アスランは、抵抗も応えもせずに、ただ、されるがまま。
それをいいことに、何度も何度もキスをした。
それでも反応がなくて、苛立って。
羽織っただけの軍服の下、水色のアンダーに手を突っ込んで。
想像以上に滑らかな肌を、手のひらいっぱいに愉しんだ。
それでも大人しくしているアスランに、流石に訝しくなってシンは問いかけた。
「・・・なんで、好きにさせとくんですか」
「いや、だって、まあ、・・・うん」
シンのキスは、気持ちよくて。
シンの手のひらは、気持ちよくて。
なんだか、どうでもよくなって。
「処理なら、付き合ってやってもいいぞ」
そんな気分に、なったから。
「処理なんて、言わないで下さいよ・・・」
もういっそ悲しくなって、シンは情けない声を上げる。
「俺、あなたのこと好きなんですよ？」
「だからしたいんだろ」
いいよ、と、シンに答える翠の瞳。
その奥の深淵。
それは、相変わらず怖いけれど。
「いいんですか？ほんとに、しますよ」
「ああ、かまわない」
それでも、好きな人の綺麗な体、その甘い誘惑の前に、恐怖は、簡単に消えた。